「お通夜って必要?」
最近、お葬式のお打ち合わせのなかで「お通夜は無くてもいいんでしょ?」と聞かれることが増えてきました。 高齢社会の中にあり、高齢なご親戚様への配慮から、お葬儀そのもののお時間を短縮する考えから「一日葬」という形態のお葬式を選ばれる方が、少しずつですが増えてきた様に感じます。 昔から夜伽(よとぎ)と称して荼毘(だび)や土葬の前日に夜を通して故人様に寄添い過ごしていた習慣であり様々な言い伝えがあります。「故人様は、通夜は亡くなっていないので夜半に目を覚ました時に誰かが手を貸してあげるために交代で付添う」「故人様の霊を慰めるために近しい方々が集まられ賑やかに過ごす」などとよく耳にします。では、そもそも、お通夜とは何でしょうか? 以前にお通夜のお席でご読経を頂いたお寺様が皆様にお話になっておられた法話に「通夜は前夜祭ではない!」とのお話がありました。今の様に時計の針が夜中の12時を指すと日付が変わると決まる昔々のことだそうです。夕暮れの日が沈みかけた頃合いを「黄昏刻」(たそがれどき)と言います。 元々の文字は「他・相・誰」と書いていたそうです。 夕刻、10mぐらい先の方のお顔が闇に染まりかけ「誰かな?」となるお時刻だそうです。 他人の「他」、人相の「相」、だれかれの「誰」で「たそうだれ」が「たそがれ」になったとのお話しでした。このお時間帯が昔の日付変更であり通夜とは、日が変わり朝一番から1日中、故人様の傍で寄添い過ごす、その始まりです。との事でした。 このお話の通りならば、慌ただしい告別式の当日は、ゆっくり故人を想う暇もありません。 大切な故人様と過ごせるたった1日のこの日を、寸暇を惜しみ傍で過ごし語り合う、通夜とは尊い時間であると感じずにはいられません。 時代の変化は致し方ないとは思いますがお子様方、お孫様方など、若い方は夜を通して大切な方の人生を紐解き、語り合い、次の世代の方々へ語り継いでほしいと願うばかりです。