葬儀への参列で必ず皆様がお持ちになるのが「数珠(じゅず)」です。 コスモールの館内でも慌てて忘れて来られた方や大切な葬儀に臨むにあたり、新たに購入される方も多くいらっしゃいます。
葬儀には付きものと言っても良い数珠ですが意外に由来や違いについて知らない方は多いようです。 数珠の由来は、諸説ありますが古代インドのバラモン教に由来すると言われています。因みにキリスト教で使用されるロザリオもインド由来です。 日本へ伝来してきたのは、密教伝来と共に!とも言われているようですが当時は、金や銀、水晶、真珠など高価な材質が使用されていたため高貴な僧侶などが主に使っており一般の人々が使用を許されたのは、かなり後との事です。 本来は、108珠を連ねたものが正式であり人間の持つ煩悩の数とも言われています。除夜の鐘と同じですね。 一珠ごとに祈りを捧げた数を数えるものであったとの説明が定説です。が夢のある解釈を京都の念珠屋さんのホームページで見つけましたので御紹介します。「108は、12×9なのです。 12は1ダース。 1年は12ヶ月。 1分は60(12×5)秒。 同じく1時間は60分。 1日は24(12×2)時間。 等々。この10進法の世の中に、根元の部分に12進法(?)が居座っているのです。つまり、年月、時間もそうですが、天体の動きに関する数字に12の倍数 (「百八」に関連のある「72」や「36」等の数字)が多く現われます。私は、「百八」という数字に、人類の過去の記憶に纏わる何かの意味を感じざるを得ないのです。 これは、念珠屋の親父の思い過ごしでしょうか。」ロマンを感じますね。 そしてこの様にも記述しておられます。「ある方が 「宗教は “溺れる者は藁をも掴む” の藁である。」 と云われました。 溺れる者の様に何かに縋りたいと手を差し出す手に触れる藁こそ宗教だというのです。もし、この方が云われる様に人間の宗教(仏教)に対する基本的なパフォーマンスが、溺れる者の様に藁に縋りたいと手を差し出すということであるなら、現実的にそのパフォーマンスに応え手のひらが握り締めるものは念珠であり、そして握り締めた手のひらに何かしらの温もりが感じられる、念珠はそんな存在であって欲しいと、私は思います。 [安田念珠店]
数珠(念珠)一筋で代々紡がれた家系では、このような発想になるのですね。 数珠について興味が湧いてきたのでは無いでしょうか? 先ずは、ご自分の宗派に適った数珠から知ってみましょう!