「陽だまりをもとめて」
僕が葬儀の世界に飛び込んだのは当時、大手の量販店で昼夜を問わず働く姿に母親から「身体を壊すから辞めなさい」と言われ、知人が営む葬儀社でアルバイトをはじめたのがきっかけでした。その頃は、葬儀業界に対して世間の偏見もまだ強く、昔堅気で頑固な祖父は「なぜそんな仕事に就くのか」「恥ずかしくて外も歩けない」と罵られ責められていました。最初は、力仕事ばかりで毎日、くたくた。「以前の職場と一緒?」と思いながら日々を過ごしていました。そんな中、少しずつですが、ご会葬者様やご親族様と言葉を交わす機会が増えていきました。特にご遺族様は、ある日突然訪れた「陽だまり」のような生活を奪われ、悲しみに暮れながらも滞りなく大切な家族を送らねばと自らを奮い立たせ葬儀に臨んでおられました。本当ならば、耐えがたい悲しみと不安の中、その場にうずくまり、一歩も動くことさえできないはずなのに・・・。この人たちを支える大切な「志事」が葬儀のお仕事なんだと感じました。それからの僕は、積極的にご遺族様に接し、言葉を交わし、その瞬間だけでも故人様と過ごされた「陽だまりの生活」を思い出して頂ければと強く思うようになりました。その後は、自らの信念を「道しるべ」に幾つかの葬儀社で勤務し、仕事に励んでいました。しかし僕の信念や想いを理解してくれる葬儀社に出逢うことはありませんでした。そんなとき、趣味で交信をしていた「SNS」で都島葬祭の取り組みを知る機会を得ました。そこには、僕の「信念と想い」が形として存在していました。「この会社で働きたい」と思うと居てもたってもいられず、それまで僕を頼りにし可愛がってくれた社長さんに正直に打ち明け、転職しました。社長さんは、「寂しくなるな。でも小脇君が決めた事だから頑張りや!」と温かく送り出してくれました。この頃には、頑なに葬儀の仕事を反対していた祖父も亡くなっていましたが、僕の遣り甲斐と喜びに満ちた姿に応援してくれていると思います。「心機一転」働きだした都島葬祭は、想像以上に僕の「信念と想い」を共有できる仲間と上司がいました。以前の職場に比べ、多くの時間を家族と過ごせるようになり、この時間が僕の「陽だまり」であり、ご遺族様に、もう一度「陽だまりの生活」を取り戻すお手伝いをすると心に誓いました。